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佐藤 純一(さとう じゅんいち、1960年7月18日 - )は、秋田県出身のプロ野球選手・審判員。審判員袖番号は21(1991年採用から)。 == 来歴・人物 == 秋田県立大曲高等学校を卒業後、秋田相互銀行を経て1983年に近鉄バファローズに入団。主に外野手、代走として起用された。 1988年10月19日の対ロッテのダブルヘッダー(10.19)では、第一試合9回表に代走として起用され、オーバーランによりタッチアウトとなった。 現役晩年は審判員就任を見越し、現役選手でありながら二軍で一塁ベースコーチを務めることもあった。 引退後すぐ、パ・リーグ審判部に入局。審判に就任した年齢は遅いが、2005年にはオールスター・日本シリーズにダブル出場を果たすなど、パ・リーグでは出場の多い審判の一人である。 2015年シーズン終了時点で、公式戦1807試合。オールスター4回(1998年、1999年、2005年、2014年。内1998年第1戦で球審)、日本シリーズ6回出場(2000年、2005年、2006年、2008年、2012年、2015年。内2005年第3戦、2008年第6戦、2012年第1戦でそれぞれ球審)している。 また、2001年9月26日大阪ドームでの近鉄対オリックス戦(北川博敏が大久保勝信から代打逆転満塁サヨナラリーグ優勝決定弾を放った試合)では球審を務めていた。 2009年8月6日に京セラドーム大阪で行われたオリックス対楽天戦の12回表、2死一塁の場面で打者の内村賢介はボテボテの一塁ゴロを打つが、投手と一塁手が緩慢な守備をし、ボールが一塁に到達する前に打者走者の内村は一塁ベースを駆け抜けた。しかし、このプレーをアウトと判定。野村克也監督、佐竹学コーチ、内村が猛抗議したが判定は覆らなかった。 2009年8月12日にKスタ宮城で行われた楽天対ソフトバンク戦の初回、2死満塁から多村仁の遊ゴロで一塁走者の小久保裕紀が二塁へ滑り込んだプレーをアウトと判定。秋山監督は制限時間の5分間抗議したが判定は覆らなかった。なお楽天野村克也監督(当時)は「あれはだれが見てもセーフだ」と発言した。ソフトバンクは13日、この判定を不服として日本プロ野球組織の加藤良三コミッショナーへ意見書を郵送とファクスで提出した。 現役末期は眼鏡をかけてプレイしていたが、現在は眼鏡をかけておらず、コンタクトを使用している。 フォアボールの際には、一塁方向へ軽く突き出した両手を胸の前に引き寄せて握るジャッジに特徴がある。 2007年にパ・リーグ関西審判部主任に就任した。役職名変更により2011年からクルーチーフ、2016年からはクルーチーフを解かれ一般審判員となる。 2012年7月18日には、ヤフードームで行われたソフトバンク対オリックス戦で球審を務め、現役の審判員としては13人目となる通算1500試合出場を達成した〔日本野球機構公式サイト「NPBニュース」2012年7月18日発表(2012年9月30日閲覧)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐藤純一 (野球)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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